2012年06月18日
7月26日から、吉田堅治展が広島で開催されます。
今朝、吉田さんの娘さんから、お電話をいただいた。
吉田堅治さんの、個展が、7月の26日から、広島のはつかいち市で、開催されるとの
お知らせです。
NHKが協賛になって、8月の原爆記念日にちなんで、平和を改めて考える集い、というコンセプトで開催されるのでしょう。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kenji-yoshida/index.html
去年の3月11日は、原爆の800発分もの放射能が、日本中にばらまかれたのですが、目には見えない為に、その怖さは覆い隠されたまま、私達は、何もないかのように、生活しています。
身にふりかかってからでは、遅いのに、現実感がない人々は、原発が必要だと思っている。
野田総理が、国民に、安全性を約束したから、と責任を転嫁するかのように、再稼働を容認されました。
今、起こっている現実はどうでしょうか。
水には、セシウムがなくても、その底に貯まっている泥に、高濃度のセシウムが検出されているのです。
阿武隈川で、鮎が放射能に犯されているのです。
人間は、大丈夫、ではありません。
大飯原発には、活断層があることを、政府と関電は認めようとはしません。
ない、と言っているのですが、現実には、あるのです。
琵琶湖が犯されると、近畿の命の水は、汚染され、人間が生きる為の水が飲めなくなるのです。
そのような、命に関わる危険を、電気の供給の為に、犠牲になんて出来ないはずなのに、 「そんな事態には、滅多にならないだろう。」という安全神話の復活です。
橋下知事も、「停電が起これば、命にかかわる人も出てくるので、再稼働は有り難い。」とコメントしています。
病院や、命綱の器具をつけている人達のことを言っているのでしょうが、そういう所は配慮出来ます。
東京は、昨年18パーセントの削減をしました。
やれば、出来ることを、あえて、やらないようにさせている。
吉田堅治さんは、「平和への祈り」を「生命」の大切さを、訴えて絵画に表現しながら、命の灯火を燃やし続けた画家でした。
吉田さんは、清貧に生きた人でした。最低のものだけあれば良い。わずかなものを分け与えることを喜びとした人でした。
平和を実践した人でした。
人の命を大切にした人でした。
飢えていないか、と訪れる人の
為に、食べ物を常に用意していました。
危険な目に会わないか、と誰にも心を痛める
人でした。
命の限りを尽くして、誰にも、分け隔てなく、
愛をつくした人でした。
日本には、かつて、清貧に生きることの美しさがありました。
分かち合って、苦難を乗り越えて行く、優しさがありました。
今、私達は、もう一度、考え直す、機会を与えられたのに、
それがもう忘れ去られようとしている。時間は余りにも性急です。
吉田さんの「展覧会」は、立ち止まり、考える場を提供しているのだと
思うのです。
はつかいち市ギャラリーでの、個展のお知らせは、吉田堅治ホームページの最後にくわしく
載っています。ご覧ください。
Posted by アッチャン at 12:43│Comments(0)
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