2009年02月27日

小沢発言の波紋

 
 

民主党党首としての発言は、今後波紋を広げそうだ。アメリカの駐留軍備は、「海軍7艦隊あたりで十分だろう。」と言った部分だけを取り上げて、自民党は、非難の攻勢を強めているが、小沢さんは、民主党が政権を取るには、臭いものには蓋をしてきた問題、一枚岩ではいかない問題に、あえてここで明るみに出したのだろう。小沢さんを党首として、責任政党になるためには、この問題を避けては通れない事を、自ら自覚しているから、誠実に、嘘なく、口に出したまでだろう。
 小沢さんは、かねがね、アメリカと日本は対等の立場にならなければならない。そのためには、自国の安全は自国で守らなければならない、と主張して来た。今回、アメリカが基地を移転するにあたって、その費用を日本に負担するように迫っている。オバマ大統領は、アフガニスタンへの日本の援助、アメリカ国債の購入など、日本への資金支援をどんどん求めて来るようになる。それは、とりもなおさず、安全保障をお願いしているからだ。軍備でアメリカに依存してきたからだが、実際の所は、日本の為だけではなく極東におけるアメリカの安全保障、アメリカの国益の為でもある。
 日本だけではなく、どの国も、自国を守る事は当たり前のことで、そうでなければ、自由はない、ということを小沢さんは訴えている。共産党、旧社会党、民主党の中でも社会党よりの人たちは、これに同調は出来ない。再軍備につながる、軍国主義の復活を恐れている。
 そろそろ、私達は、この問題に目をそむけないで、徹底した議論をしなければならない時が来ている。世界は大きく変わっている。民主主義の中心となっているはずの、国連が機能を果たせない状態にあり、アメリカ至上主義で世界を動かした為に、出てきた歪、金権主義の崩壊、経済危機を生んだ。強いものが、弱い者を潰すというやり方がまかり通った背景に、アメリカとソ連のにらみあい(冷戦構造での均衡と緊張関係)の崩壊がある。
 小沢さんは、軍国主義を復権させることも、右翼化させるつもりも全くない。その逆だ。平和を維持し、民主主義を守るために、国連が中心になるべきだ、と主張している。国連の要請があれば、平和維持軍として自衛隊を出すのが、世界の一国家としても、当然の責務だという考えだ。
 アメリカ1国に守ってもらうのではなくて、不正があれば、日本が脅かされれば、守るべきは国連軍だ、という考え方だろう。日本も、世界の平和に貢献できるだけの、自衛隊の強化を図らねばならない。アメリカに膨大なお金をつぎ込んでいるが、それを日本の安全の為にふりむければ、ずっと少ないお金で出来る。国民の為、国益の為に、国民の節税は使うべきだ。責任と自由を明確にした小沢さんの勇気に、信頼を。
  

Posted by アッチャン at 12:10Comments(0)コラム

2009年02月27日

「おくりびと」に送られて



 アトリエの居間にかけられた絵

 「おくりびと」が世界中で話題になっているさなかに、吉田さんが、おくりびとに送られて、旅立たれた。お幸せだったと思う。パリから飛行機に乗り時、送りに来ていた親しい人に、「ひと月で帰って来るから。」とおっしゃっていたと聞いた。治療して戻るおつもりだった。友人が親子で、訪れた時には、とても回復されるようには見えなかったという。吉田さんは、日本から来た旧知の友人達に、なんとか会えるようにと、気力を振り絞って、食べられなかった食事を食べるようにして、お二人を迎える時間を作られたようだ。帰り際、いつものように送って来られて、いつまでも手を振っておられたと聞いた。
 いつもすぐにお返事を下さっていたのに、なんの便りもなかったのは、吉田さんに、郵便局に行く力が残っていなかったからだった。お手紙は読んでくださったのだろうか。階下のポストまで行かれなかったのでは?
 吉田さんが亡くなられたと、息子にメールした。最後の夜に会いに行っておけば良かった、と。涙がまた溢れた。
 吉田さんは、先に亡くなられた奥様のお墓に、ご自分も横たわるスペースを作ってあるとおっしゃっていた。ご自分も、パリで最後を迎えるおつもりだった。1か月で帰ってこられるおつもりだった。奥様をパリで亡くされたため、モンパルナスのお墓に眠っている奥さまのためでもあるけれど、日本を出て、パリで暮らし、パリ市のアトリエで絵を描き、パリで生きてこられたから。パリに遊学して日本で名をなす人を、吉田さんは認められなかった。萩須高徳さんと旧知の仲で、その人柄を評価されている。モンマルトルの墓地に眠っておられると。
 最近になって、吉田さんは、日本に来られる機会が増えていた。海軍時代の仲間との会など、生きているうちに会っておきたい人達との再会。
アトリエに伺うと、吉田さんのご実家の話、家系の歴史などを伺うようになっていた。故郷への回帰に思いを馳せる時間も出て来られていたのだろう。パリで、決心して骨を埋めるおつもりだからこそ、日本への愛着、望郷の念は強かったのではないだろうか。
 こんな風に、吉田さんの意志ではなかったとしても、故郷の日本で暖かくご家族に送られたことは、お幸せだったのだ、と思う
  

Posted by アッチャン at 10:45Comments(0)日々の事